SL9の木星衝突による閃光のガリレオ衛星反射 1994
1994年7月今から30年前にシューメーカー・レビー第9彗星が木星に衝突するという現象がおこりました。衝突か起きるのは地球から見て木星の裏側なので直接観測することはできませんが、船穂天文台では1994/07/17と07/19の衝突の際に発生する閃光が
ガリレオ衛星に反射して明るくなる可能性を考えてフォトンカウンターによる連続測光で明るさの変化を観測しました。
07/17にもガリレオ衛星の連続測光を行っていました。ダイヤフラムの中心に入れた衛星が何であったのかの記録は残念ながら残っていません。薄明は終わっている時刻のようで、
衛星の明るさはあるばらつきの幅の中でほぼ一定です。途中に何度かカウント数が下がっているのは目的星がダイヤフラムの端にかかったために視野を修正したためではないかと
思います。この日は衝突閃光の反射は受からなかったようです。スライド1
07/19には夕方の薄明の中で空がだんだん暗くなっている様子もとらえていました。19時18分〜20分あたりの増光とフラッシュの反射の関係を疑いましたが、
類似の観測報告はなかったのでフラッシュの反射は観測できなかったと思っていました。
今回データが消失したホームページに過去の観測成果を再度載せようとデータを見直していると、「もしかして・・・・。」と思える増光がありそうに見えてきました。
問題は19時25分前後です。
ネットで過去の論文を調べていると、国立天文台がこの時間帯に衝突によって発生したきのこ雲を捉えていたことがわかりました。
その時刻をグラフ上で見直すと赤丸の部分がわずかにふくらんでいるように感じました。30年前には見逃していたことです。スライド2
問題の現象は1994/07/19のSL9 k核の衝突によるフラッシュです。このとき国立天文台では岡山の188cmで近赤外撮像観測を行っていました。
それによると
10h24m02sに最初の発光を、10h25m26sに2番目の発光を観測しています。(10h UT = 19 h JST)
薄明の影響を差し引くために19h23m48s-19h26m00sのデータを取り出して二次曲線で近似し、それにより薄明の明るさを差し引きました。
グラフには国立天文台が観測した10h24m02sと10h25m26sのところにマークを入れています。偶然にもこの時刻の前後に増光がありました。
ただし、減光もあるのでそのほかの現象を捉えている可能性もあります。(国立天文台年次報告1994 渡部さんたちの報告をもとにしました。 )
国立天文台が捉えたのは爆発によって噴き出したきのこ雲の明るさだと思います。ただ、論文に書かれていたのは探査機のとらえた発光よりも
11秒早かったそうです。国立天文台の観測は約10秒ごとの撮像でした。
船穂天文台の測光は0.1秒積分のデータなので、時間分解能では100倍になります。スライド3
ちょうど今年の7月がSL9の木星衝突から30年目ということで、私がFacebookに投降した日に偶然アステロイドデイのイベントがハイブリッドで開かれていました。
Facebookにコメントをくださった浦川さんがこの件をチャットで紹介してくださり、長野の大西さんも私の観測に対して高く評価してくださいました。
観測開始から時間が経ってデータが安定した状態であり、データのばらつきの幅よりも大きな変化だったので、測定範囲の明るさがグラフのように
変動したことは確実ですが、その原因がSL9の衝突に関係しているかどうかが問題です。
最終的な結論は大島さんからのFacebookへのコメントでした。同日大島さんは美星天文台で私と同じようにイオの測光をしていたそうです。
その結果、衝突フラッシュの反射と思われる増光はなかったということでした。
話題にとりあげてくださったりコメントしてくださった皆様ありがとうございました。30年前のデータを引っ張り出してワクワクしながら検討することができました。
1000年に1度とも言われたイベントに光電測光でかかわることができました。30年前に気が付かなかったわずかな増光ですが、
その後1995年5月27日に明け方の薄明の中で小惑星IrisによるDM+8°0089星の食の
わずかな減光を捉えた時とよく似ています。精度の高い観測ができると、次に求められるのはわずかな変化に気づく感覚ではないかと思います。
問題として残るのは捉えた光度変化は何であったのか?ということです。30年前の記憶をたどってみると、ちょうど木星へのSL9の衝突があったときに、
「船穂・倉敷花火大会」が行われていたように思います。1枚目のグラフで19時30分以降のデータが乱れているのは打ち上げ花火が始まったためではないかと考えます。
ビデオ撮影も併用していましたが、花火の「ドーン!」という音がするたびに視野内にあった衝突痕の見える木星像が大きく揺れたことを覚えています。
花火のあがる方向は木星とは逆方向ででしたが、天文台が風下で煙が流れてきた可能性はあります。
近くにある内科医のアマチュア天体写真家は「1000年に一度といわれる貴重な瞬間に花火大会などすべきではなく、延期すべきだ。」と主張されていたことを思い出します。
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